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「…いやぁ、そんなことない、お嬢さんなら、間違いなく…」
いまどき、こんな見え見えの誘いに乗る人間がいるかしら
紘子と待ち合わせたターミナル
紘子の姿を捜しながら切れ切れに聞こえるスカウトの声
『なんだか聞き覚えが…、やだ、この前しつこく声掛けた奴!』
断っても断ってもあきらめず
最後には無言で立ち去ろうとする絵理花に≪怖い事務所≫とやらの
話まで持ち出してきた馬鹿な奴だった
いっそ始末してやろうか、真剣にそう考えたのだが人前で力を使うわけにも行かず
なんとか振り切った後、もう一度引き返し、雑踏の中でこっそりと
当分の間、足腰が立たなくなるまで精気を吸い上げるだけで許してやったのは
その日の目覚めが良かったのと、響子と待ち合わせしていたからだったが
そんな事は本人は知るまい
身動きできなくなるのを見れば、少しは悪くなった気分も晴れるかと思ったのだが
『不味かったんだ、あいつ!頭の悪いのって、どーしてあんなに美味しくないの』
その後、青い顔をしている絵理花の様子を怪訝に思った響子は、
その話を聞き出すと可笑しそうに笑っていたが
「お口直しにね」そういって少し分けてくれながら
「拾い食いはいけないって言われなかった?」
片眉を上げてそう付け加えるのは忘れなかった。
『目障りだし、この際始末しようかな、それにしても引っかかってる人も人!
さっきからずっと話し込んで…、えっ』
「まぁ、わたくしなどに、務まりますの?」
「勿論、もちろん、勿論です」
「まぁ、うれしい、わたくし、田舎に居りますとね、お話する方も少なくて…」
両頬に手を添えてわざとらしいほど恥ずかしげな素振りをしている女性は
『…紘子さん…』
響子だったら声を掛けられるような度胸のあるスカウトはそうそういまいが
『紘子さんてば、とっつき易そう、中身は万倍危ない癖に
あんな危険人物、うろうろしないで欲しいけど…
どうしよう、携帯で呼び出そうかな、あの番号は携帯のじゃないけど紘子さんなら
そんな事関係ないかな』
戸惑う絵理花に
「あーっ、こちらよこちら、ね、この方が私をねぇ、なんだか『でびゅう』させて
下さるんですって!」
名前を呼ばれなかっただけマシだが人通りのある中でぶんぶん手を振るのはよしにして欲しい
「お連れの方ですか、おーっそちらも可愛らしいお嬢さん、ん?」
どうやら絵理花の顔を覚えていたらしい
もうこうなったら仕方が無い
つかつかと紘子の傍に近寄ると紘子の手をわしっと握り、問答無用で引っ張り出す
「まぁ、そんなに急に動いたら、今日のこの姿だと、急なのは駄目で…」

ともかくダッシュでその場を離れようとするのだが
紘子をよほどの獲物とでも思ったのかスカウトもここを先途とばかりに追いすがってくる
そのうちに、あっちだ、こっちだの声まで増える
『事務所って奴かな、もういい加減にしてよぉ』
散々走り回った挙句ようやく逃げ込んだ細い路地
紘子と一緒でなければなんとしてでも逃げられる、紘子を先に逃がそうか…
そこまで考えて紘子に意識を戻し始めると
先程まで後ろ手に感じていた紘子の重さがひどく軽い気がする
『……』
響子の言う≪ハンター≫になってから、危険はともかく≪怖い≫と感じることは無くなっていたが
今回だけは≪怖い≫気持ちが先に立つ。
紘子の手の感触を確認しながら
『み、見たくない気がす、る…!』
確かに手があった。手は。確かに手はあるが、その先が
『てっ、てっ、手、てぇーっ』

握り締めた手の手首から先はあっさり付いていなかった。
空いた手でがっしり口を塞いでも糸より細い悲鳴が漏れる
『どう、どう、どうして、引きちぎっちゃったの、私?』
手から目が離せない、吸い寄せられるように見つめていたその手の先が少し滲むように見えて
じわり、じわり、じわ、じわ、じわじわ。
手から先が生え出した。
『ひぃっ』思わず振りほどこうとするその手を
今度は手のほうからしっかり握り締めてくる
絶叫しかかるその耳に
「落ち着きなさいって、もう。もうちょっとお待ちなさい、嫌ねぇ、回線が遅いと困っちゃう」
「紘子さん、紘子さんよね、だ、だいじょ、てっ、てっ、てが」
情けないほど呂律が廻ってくれない
やがて輪郭が現れ、二の腕、肩、胴体と足、反対の手それらがさぁっと現れたが
肩の上が乗っていない
「ホントに遅い回線よねぇ、乗り換えようかしら」
意味不明なことを首なしの紘子が喋っている
『フィーメルで良かったぁ、絵理花のままで生きてたら今ごろおかしくなってる、私』
「もう、だから言ったでしょ、急に引っ張っちゃ駄目よって」
ようやく、身体の上に透明な顔の輪郭が現れて、首だけ透明なマネキンといった風情の
紘子がぼやく。
「大変なんですからね、食べたり人と触ったり、絵理花さんといい事したり出来る『身体』を
この世に、『落とす』のは」
「???」
「響子の部屋とか、紘宮社なら大丈夫なんだけど、あーもう」
やっと顔に色が差し、一瞬、色を塗った絵のような紘子の顔が見えたが
次の瞬間、生きた人間の姿がそこに現れた。
「電車とかなら、行き先も決まってるからいいんだけど、さっきみたいに振り回されるとね
焦点が絵理花さんが握ってる手にしか結べなくなっちゃって全部を落とせなくなるのよ」
「?」
「いいのよ、回線乗り換えるわよ、絵理花さんとも遊びたいしね」
「なんだか良くわからないけど、無事なんですよね?」
「大丈夫、これでも生まれたときから神様なんだから、それにこの身体が本体ってわけでも無いし」
「え、そうなの?」
「あたりまえでしょ、人の身体はわたしを入れるには小さすぎるの」
「やっぱり10mとかいるんですか?」
「え?ああ身長ね、違う、違う、そういうのじゃ駄目なのよ、山とか、河とか、海とか、星とかね
そういう入れ物でなきゃ入りきれないの」
頭の中がくらくらしてくる、あらためてこの人好きしそうな存在が何なのか
さっきの馬鹿に教えてやりたくなってきた。
「そうだ、紘子さんさっきのは、たちの悪い奴なんですよ
紘子さんを騙してエッチなビデオとかに出すかもしれないし」
「あら、それが『でびゅう』なの?、でも最近ならDVDに限るわね、画質も綺麗だし」
話がとことん噛み合ってくれない
「私、頭痛してきた」
「大丈夫なの?風邪でも引いた?」
放って置いて紘子の出ているエッチなビデオだかDVDだかを響子と鑑賞する方が
良かったかしら
追いすがってきたスカウトたちを紘子が文字通り固まらせて身動き出来なくするのを見ながら
紘子のビデオの中身を思わず想像してしまい
赤面している絵理花の手を引いて
紘子は表通りに向かって歩き出した。
表通りに出るときに、さすがに恥ずかしく、紘子に手を離してもらったのだが
「いいわよ、握ってもらうほうが好きだもの」そう言った紘子の表情が少し気にかかった。
まず紘子が入ったのは百貨店
『そういえば紘子さんってどんな服が好きなのかしら?
初めて会ったときの洋服のほうは響子が送ったって言ってたし
昨日のは、響子のクロゼットから失敬してきたって言ってたよね
おかげで、まんまと騙されちゃったけど
きっと大人の服だよね、紘子さんてばスタイルいいもの
お姉さんなのに響子より少し背が低いけど』
そこまで考えて紘子には、身長やスタイルどころか
そもそも、顔かたちすら無意味だと気付いた絵理花は微苦笑を洩らす。
どのブランドを選ぶかのなと
紘子について行くが、ブランドショップが並ぶ一角を紘子はあっさりパスする
やがてとあるショップのウインドウに張り付くと
「うーん、これよこれ、響子ってばいくら言ってもこういうのを送って寄越さないんだから」
それはそうだろう、
『響子は絶対に、ここには来ないわよ、間違いない』
紘子が熱い視線を注ぐその衣装には嫌という程レースとフリルがついていた
衣装を選んでいる自分と同年代の娘が何人か絵理花にちらり、ちらりと視線を投げてくる
彼女たちには少し大人しめの衣装を身に着けた絵理花が気に入らないらしい
間違いなく自分は浮いている
日頃、他人の視線をあまり気にしない絵理花だが
こういう場所ではやはり落ち着かない
やがて衣装を身に着けるのが絵理花でなく、連れの年長者だとわかると
今度は、彼女たちの視線にわずかな嘲りが混じる
しかし、彼女たちの視線など最初からまったく眼中にない紘子が試着室から出てくると
彼女たちどころかショップ内の人間すべてが紘子の姿に吸付けられてしまった。
『うそ、何よそれって』
似合うのだ、激しく似合う
少しあどけない紘子の表情に恐ろしいほど似合っている
薄いデニム地でできた衣装には
スカートだけにでも3段の切り返しとそれぞれについたレースの飾り
裾にはしっかりフリルまでついている
しかも裾をふっくらと膨らませて、裾から覗いているのはこれもレースの入ったペチコート状の代物。
「どう、こういうのが着てみたかったの、あなたも試着する?」
『これで麦藁帽でも持ってたら、赤毛のアンのお友達って言っても通っちゃう』
思わず紘子の姿に見とれながらもかろうじて首を横に振るのは忘れずにすんだ
「残念ねぇ、お揃いもいいかなって思ったんだけど」
一度でも身に着けたらフィーメルになったとき、フリルがつきそうで嫌だと思ったのは秘密だが
ともかくかろうじてお揃いにはされずにすんだ。
似たタイプの服と小物を数点選ぶのに時間を掛けてくれなかったのは助かったが、
今度は一転、素敵素敵と群がってきた先ほどの少女たちと紘子が話し込むのにはげっそりした
「え、えっとほら、ほかにも見たいお店があるって言ってたよね」
そう言ってようやく引っ張り出した紘子に少女たちが後ろから注ぐ視線がいつまでも熱かった。
だが、絵理花の不幸はそれでお終いになってはくれない
先ほどの衣装を身に着けたままで表通りを闊歩する紘子、似合っているだけにやたらと目立つ
『逃げちゃ…だめ…よね』
数歩後ろから歩こうかと考えたが、遅れて声を掛けられるほうがもっと目立つと気付いて
仕方なく紘子の横に従うことにした。
絵理花の苦悩をよそに紘子はずんずん目的の場所を目指しているようだ
表通りを外れて雑居ビルが立ち並ぶ一角
「ここよここ、ここの3階なの」
「紘子さん、この街何度も来てるんですか?」
「いいえ、初めてだけど、どうかして?」
「だってこんなややこしいところ、一度も迷わずに来たでしょ?」
「ああ、大丈夫よ、場所はnetで調べたし、案内はGPSがしてくれるもの」
「え、紘子さん携帯持ってるんですか?
だったら、そっちの番号も教えてください、あれって紘宮社の番号でしょ?」
「え、持ってないわよ、そんな不便なもの、かけて御覧なさいな、
今だってちゃんとわたしが出るわよ」
「??、い、今でも紘子さんが出るの?」
「当たり前でしょ?私の番号にかけてほかの人が出たらおかしいじゃない」
「???、そ、それはいいけど、じゃあGPSって?」
「ん?ああ、衛星から直接聞いてるの」
『聞くんじゃなかった』
「今は便利な時代よね、ね、そう思うでしょ?」
『紘子さんに、不自由な時代ってあるのかしら』
内心の呟きはともかくも、口数の減った絵理花を伴って紘子が入ったビルの3階
フロア自体が異様な雰囲気に満たされている
出入りするのは先ほどの少女くらいからもう少し年長の者まで
ただし圧倒的に男性が多い。
「ひ、紘子さん、こ、ここって!」
「来た事がないの?『コスプレショップ』?」
「や、やっぱりぃ」
絵理花の絶望を店の異様な熱気がおしつぶした。
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それぞれ無言のままで、熱のこもった視線を奇怪な衣装に注ぐもの
店員を捕まえて意味不明な会話を交わすもの。
あるいは、絵理花と同世代の少女が陳列品と無言の対話を交わしていたり
さらにその少女に離れた位置から遠慮がちな、しかし熱い視線を注ぐ者がいたりもする。
そこにいる全ての存在に共通する物は『熱さ』、秘められていようが顕わであろうが
ひたすらに、全ての存在が『熱かった』
しかし、そんな熱気すら瞬時に冷却してしまう者もいる
「店長さんはお見えかしら?ご連絡していた『roko』と申しますが」
「…あ、ああ、そちらが!想像した通りってか、いや想像イジョーってか
あはっ、すっ、すっげーや。
店長、楽しみだって俺にも言ってたんすよ、ちょ、ちょっと待ってください。て、テンチョー!」
『連絡なんて入れてたんだ、それもコスプレショップの店長さんの方が楽しみに待ってたですって?』
先程からの店内の熱気に、いや無節操に洩らされる『精気』に少々辟易しながら絵理花がつぶやく。
もっと『熱い』のが出るんじゃと内心恐れていた絵理花だが
奥から現れたのは意外にも上品な中年紳士、派手さは無いが仕立てのいいスーツを纏ったその紳士は、
しかし、背後に二人の年若いメイドを伴っていた。
「どうも、店員が騒ぎまして申し訳ありません。
『roko』様でいらっしゃいますな、お待ち申し上げておりました。」
「店長」氏が右腕を胸に当てて時代がかった一礼を寄越す。
「いつもご丁寧なメールを頂戴しまして」
軽く応える紘子は特別なポーズこそとらないが声音、表情、優雅そのものである。
「いえいえ、『roko』様の慧抜なご意見、読ませて頂くのが毎回愉しみでして
それにいつぞやは水茎も鮮やかな直筆のお手紙まで頂戴いたしまして」
「お恥ずかしい、悪筆です」
「ご謙遜を、香を焚き染めた巻紙のお手紙、切手もお貼りになっておられないのに
どうして届けていただいたのか、一同不思議に存じておりましたが
先程の若い者まで欲しがるやら、せめてコピーをなどと申すやらで…」
「お戯れを。ところで如何かしら、お願い申し上げておりました件ですが」
「勿論ですとも、で、そちらのお嬢様が…」
『え?』
「ええ、如何でしょうか」
「完璧、と申し上げましょう、映えます、間違いございません。
何より、『roko』様、そしてお連れ様のお顔立ちを拝見しまして、あ、これは失言を」
『完璧?映える?』
「では、二人でお願いしますね」
「承りました、望くん、遥くん」店長氏は背後に従えたメイドだか店員だかに声をかける
『二人ぃ、二人って?!』
「さ、行きましょう」
嫌も応もなかった、先導するのぞみ、はるかと呼ばれた二人のメイドの後に従う紘子、
さらにその後を絵理花が引きずられていく
『え、あ。紘子さん?紘子さんてば一体何が、あの、どうなって』
呆然としている間に、二人のメイドが絵理花達の衣装を丁寧に、しかし機能的に除去していく。
別室のかなり大きくはあるが試着室らしい部屋、
毛足の長い絨緞が敷かれ、大きな装飾つきの姿見、ビロード張りの椅子が置かれている
またそこここにある数体のマネキンにはドレス、皮鎧、そして
金属的な光沢のある機械めいた鎧のような物などが纏わされている。
しかし、いずれにも共通して、先程の店舗に陳列されていた物より数段手が掛かっている事は
こういうものとは無縁の絵理花にもわかる。
「うふふ、ここにね、非売品のドレスがあるのよ」
「非売品の、ドレス?」
「そうなの、でね、いろいろお話していて私に着せてくださるって。
だったら、二人でってね、そういうお話になったのよ。うん」
「うんって、あのそれで私もドレスを着るの?」
紘子はすでに異様に腰の引締ったコルセットを身に付けている
「わたしそんな怖い下着はいやよ!」
「大丈夫よ」紘子が嫣然と微笑む。
「え?」
「あなたのはね、そちら」
紘子の視線の先にはメイド服。
いやメイド服には違いがないし、今、着替えというよりも
整備作業を展開している二人のものよりもはるかに上質、優雅ではあるが…
「め、メイドぉ、紘子さんがドレスで私がメイドぉ?」
「あら、じゃぁこれをつける?」
紘子がにこりとコルセットを指差す
絵理花の手首とまでは言わないが首ほどの太さではないかと思うくらい紘子のウエストは
砂時計のように変形している
『こ、怖い、怖いよ。世の中にこんなに≪怖い物≫がまだまだあるなんて』
「どうするの?」
「メイドでいいです」『なんだか、どこかで、大きなことを忘れてる気が…』
「よく聞こえないけど?」
「メイドさんにしてください」
「望さん、遥さんでしたか?お聞きのとおりよ、よろしくて?」
「…」「…」
二人は無言で、しかし紘子ににこりと微笑を返すと絵理花には抑制された無表情のままで
機能的な作業を続け、瞬く間に優雅なお嬢様とお供のメイドが出来上がってしまった。
望が紘子に羽飾りのついた鍔広の帽子をかぶせ、仕上げとばかりにレースの白手袋を渡す。
望は紘子の姿を満足げに、そして憧れの表情で見つめている。
そしてすっかりメイドさんに変身した絵理花には遥の手からやはりレースのついた日傘が渡された。
「私がこれを差すんですか?」
「…日傘を差すメイドが居りますか?後ろに控えて、お嬢様に差しかけるものです…」
飽く迄も事務的に遥が答える。
『お嬢様、お嬢様って…?やっぱり…』
「参りましょうか?」紘子がにこりと微笑みかける。
「…はい…お嬢様…」
諦観が絵理花に残された感情だった。
「あ、あの、ひ、いえあの『roko』さん、どこに行くんですか?」
「『roko』さん?」
「う、ぅ、お嬢様、どちらにいかれのでしょうか?」『ひとでなしぃ』
「ええ、記念のお写真を撮ってくださるのよ」
「えーっ、いや、嫌、いやです、そんな恥ずかしい事」
「まぁ、メイドだからって遠慮は無用よ」
「違いますっ、顔出して写真なんて絶対に嫌です、そんな事するなら帰りますっ!」
「まぁ、慎み深いのね」
「怒りますよ」
「仕方ないのねぇ、じゃ、あなただって誰にも判らなければ、一緒でいいかしら?」
「そ、それは」
「いいのね、じゃ任せて頂戴」
紘子は自分の荷物の中から化粧ポーチを取り出すと絵理花になにやら化粧を始める
抵抗しかけた絵理花だが先程までのやり取りで、抵抗するだけ無駄と悟っていたので
ともかく化粧が終わってから文句をいうことに決めた。
その様子を二人のメイドは少々冷笑めいた微笑を浮かべて眺めている
折角の「お嬢様」のお供を無駄にする、はしたない娘とでも思っているようだ。
「さ、これでいいわね、ほら鏡を見て御覧なさい」
「………」
信じられなかった、姿身の中から自分を見つめ返しているのは
意思的なきりりとした表情のメイド姿の若い娘
紘子が直線的に修正した眉と、わずかな頬骨の強調、さらにかすかな目下のシャドウが
これほど自分を変えるのだろうか
「ね?『メイド長』、これであなたらしくなったでしょ?」
「ありがとうございます、お嬢様、お手数をお掛けいたしまして申し訳ございません。」
『メイド長』などと呼ばれたせいか、それとも紘子のお化粧の効果なのか
及び腰だった絵理花の背筋がぴんと伸び、さらりとそんな言葉が漏れる。
二人のメイドも絵理花の変貌に呆然としているようだ
先程の冷笑的な態度との落差がおかしくて、つい絵理花にも悪戯心が動く
「望さん、遥さん、ぼんやりしていてよろしいの、お写真の準備は出来ていて?」

「…!」
「…?」
二人のメイドが唖然として目を合わせる
ついで、年下の絵理花に高飛車に出られた事に気付き反発の視線を返そうとするが
もうこうなったら貫禄が違う
同じ土俵に上がってしまえば、くぐった修羅場の数と質が違うのだ
「いかが?」
「し、失礼致しました、メイド長」
「た、只今、確認してまいります」
あわてて飛び出していく二人を見送って思わず絵理花が笑い声を立てる
「こほん」
「し、失礼致しました、お嬢様…ん、ひ、紘子さん、なにさせるんですか?」
「その気になっちゃう物でしょ。姿かたちをちょっと変えるだけなのにね」
「え?」
「絵理花さんとハンターさんの違いよ、ふふっ」
「……」
「根元は、いいえ、どちらもあなたという事ね」
考え込む絵理花
そして望と遥が二人を迎えに現れた。
その後写真を撮ってもらい、すっかりメイド長の威厳に服してしまった望、遥に懇願されて
メイド3人組の集合写真も撮った後
店舗に出てみた二人は店内の注目どころではすまなかった
紘子の写真を撮りたがる客たちを望と遥を指揮して整理する絵理花
さらに、その絵理花の姿を撮ろうとする者まで現れたのにはさすがの絵理花も苦笑してしまったが
今度は望と遥がメイド長をかばう始末だった。
絵理花は化粧と服も元の姿に、戻してもらい、紘子も待ち合わせの時の服装に戻ったのだが
写真撮影の時から感激していた店長と
紘子が深遠な変身談義を始めると
さすがに絵理花は取り残されて
店舗に置かれた椅子に腰掛けて二人の対話を観るともなしに眺めていた。
『今日はもう紘子さんに振り回されっぱなし』
頭の中を待ち合わせの後からの出来事が走り回っている気がする
表面上は穏やかに、しかし店長氏と濃密な論議を戦わせる紘子
『あーあ、この人と私、昨日の夜…』
切れ切れに絵理花の中を想いが過ぎていく
『どうなんだろ、紘子さんとって言ったら響子は怒るかな、嫉妬する?』
『……どっちも…しないよね、わかってるけど…。』
二人はまだ話し込んでいるようだ
『私が求める分は響子はいくらでもくれるけど、響子は私のものじゃない』
『わかってる、わかってるけど』
『私のものにならないのなら、いっそ、いっそのこと響子を…。』
『響子を、私が?響子をどうするつもりなの、私ったら!』
愕然とする絵理花の手の甲に、ぞわりと走るものがあった…
思わず見つめる中指の付け根に、ぽつりと毛先が現れて
ぽつり、ぽつり、ぽつ、ぽつ、ぽつフィーメルの体毛が現れだした
『こ、こんなこと、勝手に変身が始まるなんて』
『と、止まれ、止まれ!私は絵理花でフィーメルじゃ』
『な、何いってるのよ、わたしはフィーメルで、絵理花は仮の姿で…、と、止まらない。』
思わずフィーメルの意志の力で変身を押さえ込もうとする絵理花
そのとき変身を始めた絵理花の手にそっと白い手が重なった
「疲れちゃったのね、さ、もういきましょうか」
思わず紘子の顔を見上げる
そして見返した自分の手には長い毛など一本も残っていなかった。
6
紘子が重ねた掌が過ぎた後
そこには確かに毛の一本も残っていない、と見える
見えるのだが、絵理花の違和感が消えてはくれない
「しばらく我慢をなさいね、いいこと、押さえつけてはだめよ。」
そう言い置いて、紘子は店長氏に辞去の言葉を伝えにいった。
「これは、お引止めを致しまして、如何でしょうか、こちらの車でお送り申し上げますが」
「ご配慮ありがとうございます、では**ホテルまでお願いできますか?」
店長氏や望、遥、そして例の店員などに見送られて、店外まで出ると
なんとそこには一台のリムジンが、彼女たちを待っていた
いつもであれば、店長氏の素性などに気がいくのだろうが
今の絵理花はそんな状態ではなかった
「メイド長、お嬢様とまた是非お見えになって下さいね」
「メイド長のご采配をお待ちしておりますね」
声を掛けてきた望と遥にかろうじて笑顔を返すのが、もう限界だった
後部座席でひたすらに耐える、耐える
紘子がどのような手を用いているのかは知らないが外見こそ擬態が解けてはいないのだが
自分では、もう腕の半ばがフィーメルの腕に戻っているのが判っている
紘子がいなければ、あの店内で、変貌を遂げていたのかと思うと
その恐怖が絵理花を、いやフィーメルを鷲掴みにする
紘子が彼女を伴ったのは先ほどのターミナルから程近い高級ホテル
それも紘子は最上階のスゥイートを予約していたようだった
ボーイたちが引き上げてしまい
絵理花を奥まった寝室にいざなうと
「よく我慢したわね、いいわよ、何が起こってもここなら誰にも見えないし、聞こえないわよ」
そう言って絵理花の腕に再び掌を走らせる
自分で感じていた通り、そこにはフィーメルの腕が現れた
初めてフィーメルになったときから
フィーメルと絵理花との変身は驚くほどにスムースに出来た
まるでそれが当然だとでも言うように
もし、絵理花の姿を失っていたらどうなっていたのだろうか
フィーメルとして生きていく事、それは決して嫌ではない
だがその代わりに無くす物、その心の準備がすぐ出来ただろうか
絵理花を失うという事はフィーメルスパイダーとしての
心の成長も止めてしまう気がする
異形の獣として生きることはもう自分の定めに違いないが
知性を無くしたけだものにはなりたくなかった
いま少し、時間が欲しい
少なくとも一人で生き抜く知恵と力を得るまでは
そのときこそ響子との誓いを果たせる資格を得た時になる
密かにそう思いつめてきた
そのときすぐに響子を狩るのか
それはまだ判らない
だが、少なくとも誓いを果たせる自分には早くなっていたい
響子に甘えるだけではなく
響子と向かい合ってみたい
それが密かな願いだった
「予告なくあなたを狩る事を誓います」
二人の神聖な誓いは果たされなければならない
たとえそれが自分が資格を得たと思えるその日であっても
その日の数十年後であっても
響子を狩れる自分と響子の間に何が生まれるのか消えるのか
それを見極めたい
それを誰にも邪魔させはしない…
普段なら水を泳ぐように、あるいは自転車に乗るように
なんでもない変身が今日はひどい苦痛を伴った
変身しかかる絵理花の額に汗が滲む
体毛が手足を覆い、着衣が胴部を覆う長い毛足に吸収されそして額に第三の目が開く
変身が完了したが
違和感は、やはり自分を掴んだままでいる
先程から変身を中断させていたせいか
それとも意志によらない変身に動転してしまったせいなのか
そして困惑しきったフィーメルが目を上げるとそこには
「どうしたの、ハンターさん?らしくないわよ困った顔は」
響子が目の前に立っていた
何故、いやそんな筈はと、問い掛けようとしたその瞬間
突然凶暴な衝動がフィーメルを握り締めた
それを知ってか知らずにか響子がフィーメルに近寄ってくる
『だめ、駄目よ、危ないから、寄らないで』
思いは言葉になってはくれず代わりに獣じみた唸り声が口から洩れる
それを気にも留めずに響子がフィーメルを抱きしめて
フィーメルの肩に顔を伏せる
先程の衝動がフィーメルを突き動かし
響子の背中にそのまま爪を、誓いの爪を突き立てようとさせる
『違う、違う、絶対に違うこんなものに引きずられて響子を殺しはしない』
だが、獣の唸りは止まらず
爪と響子の背中の距離があと2センチ、1センチ、と迫る
そして今しも爪が響子の背に触れようとした時
フィーメルの口から咆哮が
掛けられた鎖、絡め捕られた罠を引きちぎろうとする自由な獣の咆哮が
フィーメルの口からほとばしった
『私はフィーメル、フィーメルスパイダー、投げられた餌などいらない、私の獲物は自分で捜す!』
ぴたりと爪が止まる、そしてあの凶暴な衝動がやっと自分を解放したことに
フィーメルは気が付いた
心臓の鼓動が聞こえる、駆け回る血液の脈動までが聞こえる
自分の内部に潜んでいた見えない敵との格闘に
精気を根こそぎ持っていかれたことに気付いてフィーメルの腰が砕けそうになる
「はいはいお疲れ様、すごいじゃないのちゃんと制御できたじゃない?」
声の違いに驚くと肩から揚げられたその顔は紘子の顔になっていた
「紘子さん」
やっと人の声をだしながら座り込んでしまいそうになるフィーメルを
紘子は軽々と抱き上げると広い寝台に横たえた
「持っていかれちゃったのね、せっかく昨日あげたのに」
「あ、あは、そうみたい」
「はらぺこさん、上げようか?」
「駄目です」
「あら、お馬鹿さんに操を立てるって言うの?」
「違います」
「このまま、ここで飢え死にする気?」
「いいえ」
「ならどうするつもりなの?」
「もらうんじゃなくって、欲しいです、紘子さんのが欲しい」
「あら!」
「目の前にある素敵な獲物を、今、ハントしたい、私の糧にするために」
「ほほう、獲物に食い殺されるかもしれなくっても?」
「できなきゃ、このまま死ぬのもいいかしら」
「いいわよ、仕方ないからハントされてあげる、素敵って言ってくれたしね」
紘子の目に淫蕩な光が宿る
こんなに怖い目をしていたのかな、そう思う
響子もこんな眼をする事がある、あるにはあるが怖さが違う
「うふふ、気をつけなさいよ、狩られてあげるだけってのは趣味じゃないの
私もあなたを食べるんだからね」
「手強い獲物!」
「ひとつだけ言っておいて上げるわね必要以上に食べようとすると…」
「どうなるの?」
「壊れちゃうわよ、あなたは小さ過ぎるもの、こっちに落としてあるこの身体の分でもね」
「爆弾を、ハントしちゃったか」
「太陽をハントしたのかもね、灼かれないように気をつけなさいね、蜘蛛の姫君」
かろうじて身体を起こし紘子の上に覆いかぶさることはできた
できたが、そこまでが限界だった
それを察してにこりと微笑した紘子の顔の怖かった事といったら
思えば本当に今日は怖いことばかり
自分はまだまだ子供だな、微苦笑を宿すフィーメルの額
人外の力と人の知性を宿す異形の瞳
フィーメルのサードアイに下側から紘子がそっと口付けをする
「…!」
声にならない叫びが洩れてフィーメルは自分がひどく欲情していることに気がついた
「ハントされてあげるわね蜘蛛の姫君、だからおいしく食べてよね」
二人の重なりがどうしたものかするりと入れ替わる
普段優しい姉の顔をしているこの人が、あどけない表情をするこの人が
いったいどんな存在なのか、知らなかったのは自分の方だと
気づいた時にはフィーメルの体中に紘子の身体が絡み付いてきて
するりと過ぎてはわだかまり、わだかまってはするりと過ぎて
いつしかフィーメルは耳の奥でか細く尾を引く自分の声を聴いていた
そしてまた昨夜のように唐突に、フィーメルの身体から彼女の一部が吸い出され
換わりに紘子の魂、熱く昏く、小さく巨大な神の一部が彼女の中に入り込んできた
何が起こるのか今度は少しわかっていたので、水の中で眼を開けるように
今度は薄目をあけて見ることができた
紘子の中は煌煌と眩しく、またどこまでも広々と昏くフィーメルは迷ってしまいそうになったが
ふと気が付くと紘子が自分を包んでいてくれることが判って
ようやくフィーメルは紘子の中でくつろぐことが出来た
こんなに小さい私が紘子を、いやこの巨大な存在を自分の中で紘子がしてくれているように
喜ばせることができるのかしら
ふとそう思ったが昨日と同じく紘子の切なさが伝わってきて
フィーメルは安んじてこの不思議な交流に魂をゆだねた。
そのあとフィーメルがこちらに戻ってくると驚いたことに
彼女は絵理花の姿になっていた
「ごめんなさいね、勝手にやってしまって、でもほら、絵理花さんだって」
言われるまでもなかった
先程の交流で精気はすっかり満たされていたけれど
満たされていない欲張りな自分がやはりいて
絵理花も、いや絵理花の姿をしたフィーメルももう一度紘子との交流を愉しんだ。
そして紘子をしっかり抱きしめた絵理花の耳に
「サーチ完了、異常なプログラムの除去が完了しました」
悪戯っぽい紘子の囁きが忍び込んだ。
「ええっ?紘子さんってばそんなこと考えて私と?」
「そう思う?」
「うぅ」
「それほど私は親切でもないし、絵理花さんを物としか見ないほど思い上がってもいないわよ」
「??」
「私がしたかったからに決まってるでしょ、好きだもの私だってさ」
「紘子さん」
「とは言え、機会を逃さない主義なのよ」
「機会って」
「だってね、油断してるとあなたたちってすぐに消えてなくなるじゃない」
「え!」
「ちょっと考え事してるともう年取って死んでたりね」
『わたし、やっぱり、とんでもない人と、とんでもない事を…』
「ふふ、だからね昨日絵理花さんが間違えちゃった時」
「は、はい」
「ふふざっとサーチをさせてもらったの」
「はぁ」『この人に掛かれば自分なんか単純なプログラムの固まりなのかしら』
「違うわよ、単純じゃないし、私でも予想が付かないからあなたたちが好きなんじゃないさ」
「き、聞こえるんですか?」
「聞く気になればね、で、その時に判ったのよ」
「何がです?」
「悪夢とやらの原因ね」
「あ、教えてください、昨日もなんだかはぐらかされちゃったし」
「本当に酷いわね」
「え、私いけないこと言いました?」
「違うわよ、あなたにちょっかい出した奴よ」
「ちょっかいですか」
「そ、何時、どうやったのかは知らない、でも大きな穴が開いてるわよ」
「はい?」
「その穴を見つけたんでしょうね、今やそいつに掛かれば絵理花さんの中は出入り自由」
「えっ」
「荒らし放題ってことなのね」
「き、気持ち悪い、あ、あのその穴はふさいで貰えたんですか?」
「いいえ、ぜんぜん」
「えーっ」
「どう言ったかな?手出し無用って仰ってなかったかしら」
「うぅぅ、そうでした。」
「あはは、でも教えてあげるわよどんな穴なのか」
「お、お願いします」
いいこと、穴というよりも、それは絵理花さん、いいえフィーメルさんの傷ね
あなたがフィーメルになったきっかけ
そうよ、それがいまだに残ってる
整理をつけたようでもそうじゃない
響子にも見えたんじゃないかしら、あなたのどこかがぽっきり折れてるってね
え、そんな事いわれたって?
でしょ、あんなお馬鹿さんにだって見えるくらいなんだから
ちょっと敏感な奴になら、ちょっかいかけるほど力のある奴になら
格好の目標ってわけよね
はっきり言ってあげるけどあなたとフィーメル、フィーメルとあなたの接合部ね
本当は一緒の二人、いいえ一人なのに
フィーメルはあなたに、あなたはフィーメルに頼ってる
まあそういう言い方をすると余計に一人って意識できなくなっちゃうかしら?
でも、お馬鹿さんと知り合って少しは安定してたんでしょ?
お馬鹿さんといれば安定してる
となればね…
わかって来たかな
そうね、お馬鹿さんには察しがついたらしいわよ
だから、あっちで動かずに頑張ってるんじゃないかしら?
少しでも自分に注意を惹き付けようとかってね
健気じゃない、お馬鹿さんの癖にさ
はいはい、悪夢の方ね、あれは敵さんの仕業じゃないわよ
そいつが仕掛けた罠にね、あなたが抵抗してるのよ
でも、きっとそれさえ利用されてたわよね
プレッシャー掛けるにはもってこいの状態になってくれる訳だしね
判ったでしょ
物凄いプレッシャーとか掛かったあとであなたに何が起こったか?
人前で変身の解除、そして…
「じゃぁじゃぁそれで今日は私に色々あんなこと?」
「砂の中の小石を見つけようと思ったら、水をぶっ掛けてみるのが早いじゃない?」
「それは判りますけど…」
「あら、なあに?」
「水を掛けてる紘子さん、とっても楽しそうでした」
「当然じゃなくって?」
「はぁ?」
「言ったでしょ、機会は逃さない主義だって」
「うぅぅ」
「あはははは、さてこのあとはご自分で考えて下さいませね、姫君様
敵さんの狙いがなんなのか、どう対処するのかってね」
考えろ、考えろ、考えろ!
もし、『敵』の張った罠が成功していたなら
そうなった自分がどんな存在に成り下がるのか
そうなった自分をどうするつもりなのか
そして響子を引っ張り出してまで
罠を張っているのなら
いったい何時決定的なことを起こさせるつもりなのかしら
そしてそのあと
罠を仕掛けた猟師なら罠に掛かる獣を確認に…
何時までも追われてばかりでいられるものか
向こうの手の内がわかったのなら
今度は逆襲してやるまでだ
ただ逆襲はできると思う、思うがしかしそれをするために
自分の今を危険に曝しては、ましてや無くす事にでもなったなら
まったくそいつの思う壺
ならばどうする?
考えろ、考えろ!
いま自分の手にはどんな手札がそろっている?
何か切り札はあるか?
あった切り札が!
飛び切り凶悪な切り札をいま自分は握っている
いや、切り札さんがこっちを見ているではないか
問題は、切り札さんに昨夜、手出しは無用といってしまっていることだ
だが、しかし
切り札さんが何か言っていなかったか
言っていた
はっきり言っていた
『ちっ、折角…』
考えろ!
絵理花の中で、ひとつの思いつきが形になり始めた
「えへへへ、紘子さぁん、えへへ」
「気持ち悪いわよその笑い方、ふうん何か考えついたかしら?」
「はぁい」
「ちょっと、怖いわよ、言って御覧なさいな」
「あのねぇ、うふっふふふふ」
「似合わないわよ、もう、早くおっしゃい」
「はい、紘子さん、お力をお借りしたいんです」
「ふうん、恥も外聞もってやつ?そんなにころころ態度を変えるなんてさ」
「はい、そうかもしれません。でも、えへへへ、見返りもありますよぉ」
「ちょっと、もうなによ」
「お耳を拝借」
「えー、面倒ねぇ、『聞いても』判るのに」
絵理花は何事かを紘子の耳に囁いた
なんと絵理花は『神様』を驚かせる事に成功した様だった
紘子の眼が丸く見開かれる
「本気なの?」
「はい」
「手伝わせてくれるのね?」
「もちろんです。私だけなら刺し違えるところまでは持って行けると思うんです
でも、折角逆襲するんなら、こっちが無傷でないと面白くありません
それに、あちらの懸けた罠を思い切り馬鹿にしてやらなくっちゃ」
「うっふふ、もちろんよぉ」
「では、お力をお貸し頂けますか、紘子さん」
今度は紘子がにやりと微笑する番だった
「ふふ、それは紘子にじゃなくって、『斎王』の方に言って御覧なさいな、それも
蜘蛛姫様がお命じになればよろしいの、神に命じる度胸があればね」
どうやらここは一番覚悟を決めるべきだった。
寝台から降りて絵理花は左手を額にかざす
変身が終わると
そこには活力に満ちた若い獣が立っていた
そして同じく寝台から優雅に身を滑らせた紘子の姿は微光を帯びて
丈成す黒髪がまとった重ねの衣装の上につややかに流れ落ち
斎王が、その気になればこの都市のひとつぐらいは意のままに踏みにじる力を具えた神の姿が
フィーメルに向かい合って立った
絵理花、いやフィーメルは右手の爪、誓いの爪、そしてこの人に祝福された爪を伸ばすと
右腕を自分の顔の前にかざし
「それでは斎王様、フィーメルスパイダーは
この爪にそなたが下された祝福の名において、そなたに助力を命じます」
「御下命のままに、わが力を振るいましょうぞ」
フィーメルはにこりと笑い誓いの爪を斜めに掲げる
「それでは、斎王様、派手にやりましょう」
「ほほ、愉しみだこと」
「ぶっとばしましょ”now it's a show time ! ”」
「”oh yha!”」
斎王がどこからか差し出した扇が爪と交差して二人の同盟が結ばれた
7
雨は降っていないが曇天が続いている
ここのところ手すきなもので響子の日課は汚れてもいない『けもの』の洗車で始まっている
『雨が降ったら無駄になるって?ふうん放って置くと駄々こねるのはだあれ?』
ふと気づくと寄宿先の家長殿が響子の方へとやってきた
「いやぁ、どうもご不便をおかけしまして」
「何か進展でもございましたか?」
「ええ、ええ、先程毎日日用品を輸送してくれておりますヘリのほうから連絡文がありましてな」
「あら、何でしょう」
「はぁ、何でも、東京のほうからご連絡があったとかでご不便をおかけしております”響子様”を
東京にお送りするように準備しているというお話でしたが」
「わたくしをですか?」
「はあ、お急ぎと思うのでそのまま東京まで、そういう話のようですが」
「あら、で、ヘリの手配はどなたがして下さったのかしら?」
「なんでも***様の秘書の方、そういう風にご伝言があった様子でした」
家長殿は響子の顧客の一人の名を言った。
今回ここにくる羽目になった原因の義理ある先とは別の顧客ではあるが
確かにいつまでも響子を放っている相手ではない
ここからの脱出の『つて』にしようかと思った先ではある。
ではあるが…
「あら、そうですの、それはお手数ですのねぇ」
「それではお帰りのご準備を、いえお車のほうも道路の復旧でき次第陸送するとのお話で」
「あら、残念ね」
「はあ?」
「いえね、わたくしここが気に入ってしまいましたのに」
「こんな辺鄙な在がでしょうかな?」
「まあ、わたくしの実家も変わりませんわ田舎ですのよ、
ですから***様には申し訳無いんですけれどもうしばらくここに居りますわ」
「おお、それは、”響子”様がいらしてくださればこちらも気丈夫ではございますがなぁ」
「うふ、頼りない似非(えせ)巫女で申し訳ございませんわね」
「何のご謙遜を、村の宮司が申しておりました」
「あら、何か?」
「最近、響子様が社にお篭りしてくださるようになってからなにやら社に神気が満ちてきたと」
「何をおっしゃいますことやら」
『姉さんの手配でもなさそうだしね
もっとも、これで先方のご都合にどれだけ変更が出るのかしらね
とはいえ、このタイミングで帰ったら…
どうせ、動いても動かなくても織り込み済みかもしれないけれど
先方にご都合のいいキャストを振られるのだけはね…』
しかし、響子は立ち去りかける家長殿を呼び止めると
「あ、すみません」
「どうかなさいましたかな」
「ええ、私の車は陸送でって仰っておられましたわね」
「はあ、いつものヘリを何とか小学校の校庭に降ろすと言って居りましたがな」
「そうですの…」『ということはパイロットとあと一人、いきなり拘束ってことはないわよねぇ』
「どうなされましたかな”響子様”お気持ちが変わられましたか?」
「ええ、お手数ですがこの子をしばらくお願いできますかしら?」
「おお、もちろんですとも”響子様”のお車に手を触れようなどという恐れ知らず…
あ、いや、いやそんな不届き者はこちらには居りませんでな」
やがてヘリが校庭に降り立ったとき手回りの品だけをケースに納めた響子は
まずヘリの機体にそっと手を触れた
『こんにちは、あなたとっても綺麗な子なのね、私を運んでくださるの?』
一瞬ヘリが胴震いをしたようだった
『急にお話してごめんなさいね、で、調子はいかが?変なところはないの?
そう、大丈夫なのね?多分行き先が変わるって思うんだけど、嫌がったりしない?
そう、じゃお願いね』
軽く機体をなでてやると響子はヘリに乗り込んだ
「お手数ですわね」
声に答えて機長と副操縦士が響子を振り返る
「今日も本当に”いいお天気”、ね、そう思われませんこと」
とたんに二人の首が人形のようにかくかくと上下に動いた
「それではお願いしますわね」
響子を乗せたヘリは曇天の空に舞い上がった。
『レイダー(収奪者)』はアリーナに足を踏み入れた
『レイダー』は、あせらない『レイダー』のするべき事は奪うこと。
収穫すべき物が実を付け、たわわに実るまで、それが収穫者に刈り取られてしまうまでに
がっちりと、そしてすばやく奪えばよいのだから。
『レイダー』の目は鋭い、何を奪うべきなのか、それを的確に見つけなければならないのだから。
『レイダー』は糸を巡らせる、自分の求めるものを確実に手に入れなければならないのだから。
そして『レイダー』は貪欲だ、求めるものを収穫者にも残しなどしない。
あせらず、的確にだが狡猾で貪欲に。
『レイダー』は孤独に生きている
だが、『レイダー』の求める物は全て『レイダー』の手元に集まり、そして消費され
消えていった。
安住の場所、そんなものも無い、いや必要が無い
収奪の場所、そこに行けばよいのだ、そして、収奪し、消費して立ち去ればよいのだ。
そして、今、『レイダー』は収奪の場所、張った罠の場所、狙った獲物が自らの手に落ちる
その場所で、獲物が自らの罠に落ちる瞬間を見届けに来ていた。
気まぐれに収奪を行うことも多い、
だが、それは所詮、生を満たすそれだけのことでしかない。
しかし、手をかけて求める物が罠に落ちるその様が
自らの手に転がり込むその様が、『レイダー』を何より愉しませる
そして今回の獲物は、できるだけ長く手元で愛でたい
自らの愛玩物として、道具として手元に置いておきたいとそう思っていた
そのためにかけた手間も大きかったが、その手間すらが『レイダー』の悦びになる
そんなにも大きな獲物がこの手に落ちる瞬間は見届けずにいられない、
そして最後には獲物を抱きとめてやらなければならないのだ
この白い『抱擁』で…
獲物の名前は「フィーメル スパイダー」
そして美しい獲物は可憐な偽装も身に纏っている
偽装の名前は「宮野 絵理花」
偽装など無用
手元にあるときには本来の美しい獣、それだけであれば良い
そして、自分が望むようにその力を振るえばよいのだ
その美しさは唯自分一人が愛でればよい、自分一人だけが。
シートに腰をおろし
アリーナを見渡す
偽装が、フィーメルの美しさを曇らせるとしか思われない偽装が必死であがく場所
偽装の行う努力を、それなりに光るものを
『レイダー』ほどの鑑賞者が認めないわけは無い
だが自分には不用のものだった
自分が必要な部分だけを持っていればそれで良い
そしてフィーメルがまとう偽装、それがフィーメルの弱点、
いや、偽装をまとおうとすることが弱点なのだと
そうと気付いたその時に、いや、初めてフィーメルの姿に焦がれたその時に
この収奪はもう決まっていたのだが…
今日をさかいに、偽装は消え去る、偽装はその意味を無くす、
偽装を無くした美しい獣が休める場所は自分の手元
自分の力に縋るしか身の置き所は無くなる
自分の白い抱擁だけが獣を救ってやれるのだ
そして自分のために美しい獣の力を振るうようになる
今日がその日
ここがその場所
偽装が死ぬ場所
自分ひとりの為の「フィーメルスパイダー」になる
ここがその場所なのだ
アリーナには猥雑と思えるような低い喧騒が満ちている
この種の競技をそれほど多く見ているわけではない
しかし、今日のこの会場が静かだが何か奇妙な喧騒に
耳の奥に不快に残る潮騒のような隠れた旋律に包まれていることは
「レイダー」にもわかる
そしてもちろんその旋律をそこに置いたのは自分の仕業であったから
「レイダー」は内心の満足を表情の奥に隠してじっと会場を見守っていた
今日の舞台のセッティング
計算外はひとつだけ
ここに持ってくるはずの女、それがどうやらヘリごと墜落した
それだけだった
今朝方の連絡では東京までの間に女とパイロットとがトラブルを、との通信のあと
レーダーからも機影が消えたということだった
仕上げにと思っていたが結局使えなかったか
だが、「フィーメル」の庇護をしていたらしいその女を消去する役が
「フィーメル」自身であろうとなかろうと、
「フィーメル」自身が勝手に悪夢を見てくれたことで
すでに目的は達していた
一応、先夜「フィーメル」を追い詰めて
自分の前まで誘導しようか、その手筈も整えてあったが
どうやったのか「フィーメル」は「レイダー」の敷いた包囲から抜け出てしまった
それもまた折込済み、
その夜のうちにフィーメルが手に入るならそれもよし
入らなくとも追い詰めることで目的は達成できている
そして、その夜遅く、いやほとんど翌朝といってよいが
「フィーメル」が自分の巣に戻ったことは確認していたし
この会場に既に偽装を身にまとって来ていることも確認していた
そして巣に帰ったその時も
会場に現れたその時も
『侵入口』は閉ざされていなかった
衆人環視の中での変身、そして準備した捕り手との乱闘
そして捕獲、それから自分が庇護してやることになる
世間には捕獲されたけだものが射殺されたとでも
発表されることだろう
偽装が変身を遂げたというのでは大事に過ぎる
偽装は突然乱入したけだものにでも食われた
そんな風に公表されるようにしておけばいい
獣自身は偽装の剥離を絶望するだろうが
公表された結果など知ることもあるまい
そして
世間というものは自分が信じたいことを信じる
そのようにできているのだから
それから捕獲した獣をゆっくりと……
そして既に旋律の演奏は始まっている
偽装がここに着いた時
彼女は先日の追跡を思わせる撮影音と閃光に包まれていた筈だ
彼女の姿だけを延々と、執拗に、そして無言で
その次は開会の遅延
それも偽装が今日身に着ける筈の競技用の衣裳が傷付けられると言う騒ぎ
それによる犯人の捜索
さらに他の団体からその遅延に対する抗議
勿論抗議の向かう先は偽装個人に向けられる
ようやく選手の競技が始まって選手溜りに偽装の姿が現れたが
偽装の表情が硬く神経質になっていることを
観察者でもある「レイダー」の目はそれを見逃してはいなかった
深い満足とともに
だが、偽装は健気に演技を展開している
それが偽装の持って生まれた性格なのか
それとも「フィーメル」の力によるものなのか
偽装の存在を無用と思う「レイダー」にさえ、偽装の演技が群を抜いていることがわかる
そしていよいよ最後の種目
リボンの演技だ
最後の演技、そう偽装の最後の演技
獣が人として振舞う最後の演技でもある
回転する肢体、そして高々と右腕が高く、後ろ手に高く掲げられる
ふっと停止して俯くその顔、前傾し反り返るするその背
折りたたまれ胸に添えられた左腕
停止の一瞬前に投げ上げられたリボン
どういう回転を掛けてあったのだろうか
リボンのスティックが掲げられた右腕につかまれると
リボンは緩やかな弧を描いて偽装の身体の周りに折り重なった。
巻き起こる拍手
緊張から解放された偽装が安堵の笑顔を見せる
駆け寄るコーチがタオルを被せてやる
だが、その笑顔が報われることは無かった
評点が公表された時、
そこに並んだ数字は、最高点を示していたが
直後に訂正がされ、偽装の失格が告げられた
失格の理由はなんでも無い事
傷つけられた競技衣裳の替わりに急遽身に付けた物が
大会で使用を認められていない
そういう理由でのことだった
コーチがクラブ関係者が抗議に走るが
認められる事は無い、られるはずはない
そうなっているのだから
そして会場のそこここからは評価に対する抗議ではなく
偽装が行った違反行為に対する非難の声が声高に発せられる
これで充分のはず、トリガーは引かれた
すでにタオルを深く被った偽装の手が震えている
だがもう1手…
入り込めないはずの選手席に
無遠慮な数名の観客が入り込み
偽装の姿を携帯で、無言で執拗に撮影しようとする
勿論静止するものもいない
そして、そしてひとりが無法にも偽装が硬く握り締めた手からタオルを剥ぎ取った時
そこには偽装の姿ではなく
「フィーメル スパイダー」の姿が現れた
更に炊かれる閃光
飛び交う怒号と悲鳴
さあ、ここに捕り手の集団が
現れる筈と思ったその時に
偽装が所属するクラブの席から
一人のジャージ姿の女性が立ち上がり
「お待ちなさい、異形の獣」
凛と木魂すその声が
決して大きくは無いが不思議に通るその声が会場を森と静まり返らせた。